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蝶々夫人のあらすじについて

最初に私が最も好きなオペラが、この「蝶々夫人」、あるいは通称「マダムーバタフライ」だ。何が泣かせるオペラといって、これに勝るものはもしかしたら存在しないかもしれない。そして、これ以上に残酷なオペラもないかもしれない。作曲者ジヤーコモープッチーニは、このオペラが自分の最高傑作だと言っている。確かに、見る者の涙腺を直撃するようなプッチーニ節がこれほどまでに恥ずかしげもなく、惜しげもなく利用されているのは、初期の「マノンーレスコー」を除いて、ない。それほどまでにこのオペラに出てくるメロディは異常な表現力を持っている。一本の音の流れでここまで人間の喜怒哀楽のあやを表せるものか、と空恐ろしくなるほどだ。オペラは一般的に、プッチーニの「蝶々夫人」、ワーグナーのなになに、というぐあいに、作曲者の名前をかぶせて呼ばれるが、これを見れば、オペラにおける音楽の重要さが納得できるはず。だから、私が授業でオペラを扱うときは必ずこれを見せることにしている。ストーリーや登場大物の設定が単純なくせに、オペラならではのしつこさ、トロトロとした情念の濃さの魅力と迫力がこれでもかと伝わってくるからだ。教室でLDを見せようが、劇場で生を見せようが、劇がいよいよ最後に近づいてくると、それまで落ち着きのなかった連中すら、本当に水を打ったように静まり返って食い入るように見ている。声を振り絞るように歌うソプラノ歌手とオーケストラの表現力にタジタジとなるのだ。また、何度舞台で見ても、この幕切れはすごいなあと思わされる。不実の男を待って待って待つ女の意地が、最後でついに自殺に行き着いてしまうという悲しさ、やるせなさ、残酷さが万人の心を打つ。シチリアのオペラハウスで見たときには、終わったあとで近隣の席の人々が感激のあまり東洋人の私や友大たちに握手を求めにきたほどであった。まず、舞台は維新後の長崎ということを覚えておこう。武士を頂点とする身分制度が崩れ、商売のへたな元貧乏侍はますます落ちぶれ、反対に、うまく立ち回る者は成功した時代だった。主人公は蝶々さん。十五歳の少女である。現代のわれわれからすれば不自然な名前だが、まあ仕方がない。劇はひたすら彼女を中心にして展開するし、音楽も彼女の内面を表現することに集中する。蝶々さんの女中として影のような存在なのがスズキ。相談役になって労苦をともにする。蝶々さんは没落したとはいえ武家の出身だ。当然、プライドは高い。生活のために芸者なんぞをやっているが、自分は本来そんな仕事をする人間ではないと考えている。そのプライドと現実のギャップゆえ満たされぬ生活を送る彼女のところに、ゴローという男がアメリカの兵隊であるピンカートンとの縁談を持ってくる。このピンカートンという男はアメリカ海軍中尉で、典型的な軽薄船乗り。リンカーン号という軍艦に乗り、ファーストネームがベンジャミンーフランクリンというのも笑ってしまうが、要は露骨なまでにアメリカが揶揄されているのだ。第一幕の幕が上がると、舞台は結婚式の準備でにぎわっている。今日はが、こうした細部はかなり異なるものの、彼女はたんなる情婦にしかすぎなかったのだから。彼女を妊娠させたピンカートンは、日本を離れると、もはや戻ってはこなかった。今の東南アジアで日本人がやっているようなことではないか。音沙汰もないうちに三年がたってしまう。世間の人にとって、それは当然予想される結果であった。だから、蝶々さんは寄ってくる男と適当に仲良くして、また誰かの愛人になればいい、と人々は考える。だが、あまりにも純真と言おうか、頑固と言おうか、少女らしい夢想を捨てきれぬ彼女は、そのようには考えなかった。ピンカートンは戻ってくると言ったではないか、だから待つのだ、と彼女は毎日毎日夫の帰りを待ち続ける。困った立場にいたのは、ジャープレス。身勝手なピンカートンが彼に手紙を書いて、自分はもう蝶々さんとは会わないつもりだから、何とか話をつけてくれと頼んできたのだ。嫌な役目を仰せつかった人物が蝶々さんにその話をするシーンは、このオペラでももっともすばらしい場面のひとつ。ジャープレスの苦しみと蝶々さんの無邪気な喜びのコントラストがあまりにも残酷である。だが、ついにピンカートンの乗る船が長崎に戻ってきた。大砲の音を聴いて、喜びに狂う蝶々さんは、夫を迎えるために化粧をし、まだかまだかと家で待つ。朝が来たが、ピンカートンは来ない。くたびれた蝶々さんが寝入ってしまうと、登場人物は外で人の気配がするのに気づく。ジャープレス、ピンカートン、そして彼のアメリカ人の妻がやってきたのだ。さすがに三人とも蝶々さんに顔を合わせたくはない。三人は、こともあろうに、蝶々さんから子供を奪うために来たのであるが、登場人物に「おまえさんが話をしてくれよ」と頼む。ムシのよいエゴ。目覚めた蝶々さんは、アメリカ女の姿を見てすぺてを悟る。自分が完全に捨てられたことを理解した彼女は、「十五分後にピンカートンが来たら、子供を引き渡しましょう」と言う。子供を思う母親の悲嘆は深い。そして「誇りを持って生きられないのならば、誇りを持って死ぬ」、そう彼女は宣言し、父親の形見の短刀で自殺する。なるほど、「ティーンエージャーの蝶々さんは世間知らずでバカだ。最初から捨てられるのは見えているではないか」と言ってしまえば、それですんでしまうかもしれない。ピンカートンの軽薄さにしたって、港々で遊ぶ水兵さんとしてはごく普通だろう。ただ、相手が熟練したプロの女ではなかっただけで…。そういうことを指摘してナンセンスな話と片づける人は少なくない。しかし、世間知らずとか、バカとか、そういうことで終わる問題ではない。それだけなら、このオペラが作られてから今日までずっと上演され続け、人々を感激させ続けてきたはずがない。愚かとわかっていても痛い目にあうのが人間なのだ。たとえば、まず蝶々さんの境遇に注目してみよう。まだ幼さが残るティーンエージャーの彼女は、落ちぶれてはいるが由緒正しい武家の出身である。だから、名誉や自尊心といった伝統的価値観を非常に重んじる。特に大事なのが、恥をさらすなら死んだほうがよいという考え方だ。だが、この物語の明治初頭とはどういう時代か考えてほしい。それまで身分制度のいちばん上にいた武士は突如特権を失い、金を握った平民があからさまに力を誇示できるようになった時代だ。そして、伝統的価値観が、古くさいと一挙に否定されることも起こった。すなわち、蝶々さんは、新時代になっても旧時代の価値観を捨てきれず、手練手管で新時代をうまく渡っていくことができないアナログな人間なのだ。そういう彼女が金を持っていれば問題はない。しかし、零落しているだけに、プライドが高いほど周囲から笑われ憎まれる。彼女がピンカートンの妻となる大きな理由は、勇ましくりりしい制服をつけた夫を持つことで、周囲を見返すことができるからなのだ。だからこそ、その夫に捨てられるわけにはいかなかったのだ。彼女は異人であるピンカートンにすべての希望を託す。
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